先日、ある空き家の家財やその他のコーディネートサポートで・・・
先日も、ある空き家の家財やその他のコーディネートサポートで、山間いの空き家へ行ってきました。廃棄処分のサポートの方からは
「どうしてこの家の人は、これだけの物を捨てずに来たんかのう。わしには、理解できんわあ」
そうですよね。モノの量や見た目だけではわからないでしょう。宅内には、床が見えないほどのモノであふれていました。でも、私たちはそれを理解するからこそ、向き合います。
それが「聴く」「知る」ということ。
見た目は、すごい状態。使用していた部屋はたった一部屋。そこに普段のモノは集中しているわけです。食べ物や普段着、手紙や書類、通販カタログ、ご先祖様の写真にお位牌、など。
90歳を過ぎたおばあちゃんの山間いの一人暮らしには、手の届く範囲で生活がいっぱいです。所有をされている方に、いつもじっくりとお話を聴きます。遠方にお住まいで、なかなか片付けは難しかったと。
早くにパートナーを亡くされたおばあちゃんは、この家でしっかりと生きてきた痕跡が見えます。おばあちゃんの暮らしぶりがあちらこちらに見えます。
大変な時代を生きたからこそ、捨てられない。
納戸や押し入れ、天袋にはぎっしりとモノが詰まっています。この世代の方の特徴ですが、衣類を季節終われば、丁寧に袋に入れて、買った時に入っていた衣類の箱(若い人、わかるかなあ)に収めて、外にマジックで書き込んであります。
頂き物や、香典返しのモノは、中身は無いんですが、空箱だけが丁寧に積み上げてあります。頂いたことに感謝とありがたさと、もったいなさと、それが大変な時代を生きた皆さんの特徴です。
元気だったころの片付けの痕跡でしょう。仕事時代の本や書類を大量に箱に入れて納戸の更に奥に置いてあります。この本が、頑張ってきた証でもあります。日常のレシートや領収書、メモはクリップに留めて、あちらこちらに置いてある。高齢者の特徴・・小袋に入れるんですよねえ。ご本人はもっときちんとまとめたかったのかな。やがて、体を悪くして、あちらこちらに置くこともできずつい、生活を中心としているこの部屋へ。いつも使いの食器は数点、着る服もこれだけ、箪笥が湿気により引き出しが開けにくくなっていました。高齢者の力では難しいです。戻すこともできず足元が見えないほどになってしまう。
ひとりひとりが違うからこそ、聴く意味がある。
そんな人生に想いを馳せながら、所有者の方々に整理の方法や考え方をお伝えしています。面白いといっては失礼ですが、想いを馳せる、ココロに響くポイントが皆さん違うんですよ。
亡き先代の何にココロ響くのか、取っておくべきものはなんなのか、どんな気持ちで向き合ったらいいのか、その方法は‥。そして大事な、全てが終わるまでの段取りです。