もの云わぬ「モノ」と人はどう向き合うのか

一月はあっという間ですね。「二月逃げる、三月去る」。歳を重ねると早く感じるといいますが、人生の先輩方はいかがでしょう。歳とともに経験してきた出来事の多さが積み重なり、また頭をめぐり、早く感じるのだと聞いたことがあります。

さて、先日ある番組で「家族」と「モノ」について改めて深く考えさせられる瞬間がありました。

家族と自分を結ぶモノへの尊さ

災害で家族と住まいを失った方が、倒れた建物や廃棄場所まで行って一生懸命に「家族のモノ」を見つけて集めていらっしゃいました。ボランティアに携わったことのある私も目にしたシーンでもあります。

ただ、この方は「自分と家族を結ぶのはもうモノしかないんです」と言われました。

捨てることの発信が多いこのご時世ですが、切なくも重く、またこれぞ人間らしい声であると胸に響きました。

昨日まで暮らしの営みを一緒に歩んでいた家族が突然、人生を終えなければならなかった「家族のモノ」を拾い集めて手にすることが、この方の生きる糧となり、「今とこれから」の人生の道しるべとなるのでは・・・と尊さすら感じました。専門分野でもある「シニア・空き家の家財問題と家族親族との課題」についてさらに考えさせられました。

一方、家族のモノに悩まされる人たち

私は、空き家の家財の整理をするために悩んでいる方の相談を受け、
モノに対する気持ちの整理と方向性を導きながら、最終整理まで伴走支援しています。

その空き家の現場では遺された親族は「残されたモノ」に対して、「親はなぜこんなにたくさん持っていたのか、なぜ持っていたのか、これはいったい何なのか、どうすればいいのか」と捨てるための理由を見つけては取捨選択し、翻弄されています。

捨てなくてもよい・・心のよりどころ・・・持つことの責任

私たちは、自分が直面している整理の場面において「もの云わぬモノ」とどう向き合うのか・・・・。捨てるだけが整理ではなく、人生の糧・心のより所になるなら「持つことの責任」を心得ながらも手に扱える数を大切にしていくことは良しと私は思っています。

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