モノの扱いに悩んだコトも気持ち新たに
現在、空き家対策・予備軍対策の家財整理の課題に向き合っています。
これまでも個人の相談でたくさんのサポートをして、所有者と一緒に古いものを処分してきました。
でも本心は、もったいない気持ちが先に出る家財もたくさんありました。
それは、まだ使える・・という意味ではなく、そこには「本当の人の暮らし」を伝える家財がたくさんあることです。
空き家や実家の片付けをする際には、親族や子世代孫世代にも参加させてほしいと、お願いをしています。
先代の証し、明治大正昭和の暮らしに触れてほしい、そうして今があることを知ってほしいと思います。
だれがそれを担うのか、
私が個人的にモノを頂くこともあります。しかしながら限界があります。
広島県内を中心として多くの地域や集落に伺い気になっているところでしたし、
私が捨ててきた家財の棚卸し整理、逆にどんなものが人の心をひきつけるのかを知りたくて、
大分県豊後高田市の昭和の町に行ってきました。
まちづくりが昭和です。決して古民家ではないのです。人の暮らしを反省し、懐かしさとわくわく感でいっぱいになりました。大量に展示されているモノたちは、私たちの日常の暮らしそのものであり、ココロくすぐられます。
シニア層の回想療法、認知症予防にも繋がります。
実は、悶々とする瞬間がいつもどこかに
私は、整理の事業について長いですが、実は悶々とする瞬間が過去にもたくさんありました。
ココロくすぐるモノたちを処分する瞬間です。
リサイクルになる・・とかではなく、昭和なのです。誰かの、どこかの地域を元気にするのではないかと思っていたのです。
その「どんなモノ」を見に行きました。私の産まれた歳の商店街の人波は考えられないほど多く、
このタイルの流し台で祖母や母と見た生活の景色と営み、セルロイドのおもちゃで遊んだ頃、空き地の土管、
何もかもが回想される元気になる、それを体感しに若者も高齢者もやってくる。
捨てることは大変重要。
ですが、目的を持った保管にも意味がある。
私が長年、悶々としてきたことが明確になった瞬間でした。今後の空き家対策における「私へのヒント」でもありました。

